CHIANGMAI TATTOO FEST2020其の弐
「WE ARE PUNK vol.15」
最終日はお客さんを彫り終わると、自分はイベントを抜け出して
BRONZE FIST RECORDS高崎氏のイベント「WE ARE PUNK vol.15MOHAWK BARに向かう。
トゥクトゥク(三輪自動車)ですこしボラれて到着。あれ、野外イベントなんや。
500m先からわかる超爆音、ハードコア、おたけび。
チェンマイのパンクはクラスティな感じの人が多い。
FRAMTID、DISCOSE、GLOOMなど日本のバンドのパッチやTシャツも目にする。
普段あんまり聞かないジャンルだが嬉しい。
バチバチのジャパニーズスタイルは居ないかな?
何故か物販で自分の好きなMoscow Death BrigadeのTシャツが売ってたから買う。
ステージのBRONZE FIST RECORDSのバナーが日本人の自分には誇らしい。
高崎さん、やっぱタイでもイワしてますね!
ちょうど来たら地元チェンマイのハードコア、「THE SHREDDER」ニュースクール、なかなかいい感じ。
このイベントはチェンマイのバンドに加え欧米のハードコアやパンクバンドも数多く出演していた。
チェンマイのハードコアパンク「CHAINED SLAVE」がだいぶかっこいい。気合はいっとる。
暴れまくってたおねえちゃんがビールのビン割ったら、みんな怪我しないようにと掃除してたのが微笑ましい。
チェンマイのパンクは汁が出ててかっこいいな。梅田ギルドのような雰囲気だ。
その後も欧米のバンドがいくつか終わったところで彫うと君も合流。
バンコクの2人組グラインドコア、「HHEEXCHEEK」はかなりカオスでした。
マイクはステージに落ちている、どこから曲なのか?
まるで肉奴隷やSPACE GRINDER、つまりは無音楽でした。最高です。音源欲しかった。
トリのミャンマーのバンド、「THE REBEL RIOT」とマレーシアのメタル「MOTHFLESH」も見たかったが
CHIANGMAI TATTOO FEST2020のアフターパーティに戻る。
自分の荷物は片付けてもらっていた、日本人刺青師さん達ありがとうございます。
CHIANGMAI TATTOO FEST2020の主宰のTONG氏はメタル好きで
BABYMETALやEDGE OFSPIRITも好きだとか、その二つは全く違いますが素晴らしいです。
パーティも終わり、バンコクのRATTLE TATTOOの方達と同行し食事後、
一人ホテルに戻る。が、4次会に合流の為すぐ出かける。タクシーも見つからない。
イベント終了後の翌日は地元チェンマイのサプライヤーや
ワット・チェットヨート寺院(Wat Chet Yot)を廻り
チェンマイ北部の人口湖ホイ・トゥン・タオ(Huay Tueng Tao)に移動。
BRONZE FIST RECORDS高崎氏とナエさんと合流。とてもきれいな国立公園だ。
その後にリンカムナイトマーケットを案内して頂いた。
その翌日はチェンマイのムーンサーン寺院(Wat Muen San)にある日本人戦没者慰霊碑を案内して頂いた。
境内には第二次世界大戦時の日本軍の野戦病院跡があり、慰霊碑が静かに立っている。
当時この場所はインパール作戦の駐屯地となっており、ビルマから撤退してきた多くの日本人兵士が
負傷や疫病などで倒れ、ここで亡くなったとある。
駐屯された方の多くが福井県出身の人たちということで福井県の刺青師光聲(KOUSEI)氏は
特に縁を感じていたような気がする。
ちょうど陽が指してきた。祝福されてるような気になってくる。
高崎氏とナエさんは菊の花を準備してくれていて、皆で線香をあげた。
ぜひまた来ようと思った。
高崎氏と別れ、長く滞在したホテルをチェックアウトしバンコクへ向かう。
チェンマイ空港から飛行機で1時間半程度でバンコクへ到着し、
ホテルにチェックイン後、すぐバンコク市街のバイヨークタワーに向かう。
目当ては高崎氏からの情報で大量のメタルブートTシャツ屋を探す。
出国
出国の日、彫うと君と別れドムンアン空港にて出国。
彫うと君、いつも本当に色々ありがとう。
荷物はすでにオーバーしている。皆でシェアして奇跡的にセーフ。
光聲(KOUSEI)氏が購入したスーツケースを自分のスーツケースとビニールで一体化させて
「ALL IN ONE」つって荷物預け入れを試みたがソク見破られる。
セーフじゃなかった。ファック。超過料金だ。
のんびり彫たち氏は機内持ち込み審査にてニードルを没収されるという。R.I.P
6時間半程度のフライトで帰国、日本は寒いです。もう夜中です。
翌日二人を大阪案内する。
嗚呼ホーム。
住吉大社では御光が射してくれました。
嗚呼、無事帰ってこれた。
彫たち氏、光聲(KOUSEI)氏、お疲れ様でした。
今回も沢山勉強になった。微笑みの国、タイって本当でした。
愛想良く、かわいらしい人達が多かった。
そして沢山の人にお世話になった。返せぬくらいの恩が出来てしまった。
出来れば仕事で返していきたい。がんばろう。
日泰友好!
CHIANGMAI TATTOO FEST2020其の壱
「 CHIANGMAI TATTOO FEST2020」
このたびタイの第二都市でもある古都、チェンマイで開催される
「CHIANGMAI TATTOO FEST2020」に参加してきた。
チェンマイタトゥーフェストは今年で3年目の国際タトゥーコンベンションで、
「世界中の200人以上の最高のタトゥーアーティストが今年のイベントに参加します。
このタトゥーの慣習は、タトゥーアーティストのためのタトゥーアーティストによる口コミです。
2020年2月7〜9日、チェンマイホールで、セントラルプラザチェンマイ空港に位置します。」(サイトより)
初めてのタイ、タイといえばあの人だ、
大阪でBRONZE FIST RECORDSというOI/SKINS/PUNKレーベルを1995年から主宰し
関西のバンドから海外のバンドまで数々のリリースに加え、
国内音楽雑誌DOLLやBURSTなどでも記事を書いていた高崎氏が
現在タイに移住しているということで連絡を取っていたら、タトゥーコンベンションの最終日に
高崎氏のイベント「WE ARE PUNK vol.15」もチェンマイで開催されるという。
さらにそのタイミングで高崎氏が発刊するZINE「CHIANGMAI CALLING」に
自分の紹介文や作品も掲載させていただいた。イラストレーターのナエさんにも感謝!
ありがとうございます!凄いタイミングだ。
出発
今回コンベンションに参加する愛媛県宇和島市の彫たち氏、福井県の光聲(KOUSEI)氏も
関西空港から出国するので、その前日から大阪入りし、我がYONARTE TATTOOにて集合。
道具や材料を一式運ぶとなると自分にとってはかなり重労働である。
荷造りは日本人刺青師同士で持っていく道具をシェアしていく。
すでに荷物は規定重量限界に達している。
関西空港からチェンマイまでは直行便が無いので、タイの首都バンコクを経由する。
出国は楽勝、特に問題なく、6時間半程度のフライトでバンコクのドムンアン空港に到着。
移動は疲れる。
2月で現地気温は33度。暑いです。
入国審査、荷物もとくに問題なく全員無事入国。
そこで沖縄BOGEYMAN TATTOO彫うと君と合流。
彼は事前にタイ入りしていてバンコクにあるサプライヤー(刺青道具屋)を廻っていたようだ。
まだ日本円をタイの通貨であるバーツ(Baht)に換金していない我々は、
彼にお金を借り、コーヒーや菓子を買い、再びのフライトで1時間半程度でチェンマイ空港に到着。
当日のバーツはレートが3.52 円。携帯電話にも現地SIMを購入する。
CHIANGMAI TATTOO FEST2020はチェンマイ・エアポート・セントラルプラザという
空港のそばの設備で開催されるので、自分たちの宿もスグそばのホテルでチェックインする。
チェンマイ市の移動はおもにタクシーのほかに
、
トゥクトゥク(三輪自動車)
モーターサイ(バイク)
ソンテウ(相乗りタクシー)
ピンクの象
脳内飛行機などがある。
そして東南アジア一帯で利用されている配車サービスアプリグラブ(Grab)というものがある。
目的地を入力して検索すると、周辺にいる会員ドライバーが指定した場所まで迎えにきてくれて、
目的地まで連れて行ってくれるという、Uberのタクシー版のようなもので、
そのシステムが中々理解できない我々に変わって彫うと君が駆使してくれて、いつも呼んでくれた。
他の移動に比べ、用途に応じて容量の大きい車を選べたり、ぼったくられる心配が無いのが良い。
これはおすすめだ。
CHIANGMAI TATTOO FEST2020
一泊したのち、開場前日の朝からに会場入りして、ブース設営をする。
現地で床マットやその他消耗品を購入し、各自のブースを作っていく。
照明は日本から持参したクリップライトを接続したとたん電球が飛んだ。
タイの電気は220V、50Hzということなので、変換プラグや変圧器を使用しないといけなかった。
会場からスグそばにある家電店で買いなおし、結構時間がかかりなんとか終了。
開催当日は朝9時入りして再び準備をし、10時から開場。
イベントは夜の10時までなのでかなりの長時間だ。
入場者は地元タイ人に欧米人観光客、移住者、人種国籍も様々で、
コロナウイルス騒動の影響か、中国人観光客が殆どいない。
会場は広く、各国から参加の刺青師ブースに加え、いろんな出展があった。
サプライヤーのブースやアパレル、ブランドのブースに巨大ステージに、
野外ではバイクや車のブースもある、
さらには散髪ブースもある、とても楽しげな空間だ。
自分の横のブースが福井県の刺青師、光聲(KOUSEI)氏だったのだが、
彼が手彫りでの施術を始めると人が集まってくる。やはり日本の手彫りはみんな興味があるみたい。
我々の隣のブースはタイはバンコクのRATTLE TATTOOのブース、
彼らは我々を前日に道案内してくれた連中だ。本当に親切な人達だ。
いつも彫場を変えると、なかなか勝手がいかず結構大変だったりするのだが、
前日の光聲(KOUSEI)氏とのコンビネーションブースによりスムーズな施術が可能となった。
2日目にはBRONZE FIST RECORDS高崎氏とナエさんがチェンマイ入りし、
自分のイベント準備前にもかかわらず会場に遊びに来てくれた。
氏曰く、この日はお釈迦様の生誕の日で、各店の酒の販売が禁じられているという。
自分とナエさんはSxOxBのTシャツがカブっている。そらせやろ、ワシラ大阪やから。
持ってきた名刺やステッカーは2日目にしてすでに無くなってしまった。
そしてピンバッチは完売しました。ありがとう!
MY TATTOO TOUR 其の七 「epilogue」
epilogue
rock 'n' roll foreversのギタリストでReed cafeオーナー、
帰国まで
また、馴染みになったお店に挨拶を済まし、毎日通った街並みも愛おしく感じる。
おかえり
YONARTE TATTOO(OSK JPN)
長かった(自分的に)旅も終焉を迎えた。
気がつけばほぼ毎日仕事をさせてくれたlhommeinvisible(ルホーム・インビジブル)。
MY TATTOO TOUR 其の六 「ボルドーのアート編」
「ボルドーのアート編」
自分自身、仕事や活動に対して、特にアート、アーティストを自覚していることはあまり無い。
日本での刺青師で在るゆえなのか、とにかく自分の作品が表現あることにも自覚は薄い。
確かにアート=芸術という意訳であれば確かに日本の刺青、タトゥーには実感は遠のいていく。
たかが言葉のハナシなんだが、この旅ではそんな言葉が重要な場面が多々あったのだ。
自分も、「ワシの刺青は所詮チンピラ仕事の一環でっせ。」ってニュアンスは嫌いでは無いのだが、
「ワシの刺青はそんなアートみたいなチャラいモンやおまへん。伝統刺青やさかいに。」
つって、アート性を蔑む風潮もどうかって思う。
そういったものは現代美術、モダンアートの分野だと認識しやすいのだが、
表現≠伝統文化とか、再現≠アートとかって居直って線引きするのも、
元来の目的ではなかったはずだし、定義付けられても無いはず。
「守破離」って言葉があるが、守り、破り、離れると段階を経て精進を重ねていく。
「アート」が「守破離」でいう「離」での次元でしか存在できないのであれば、
一見、アート性は認めているものの、最終的に求め到達するもので、今は精進ってのは
目の前の高尚さに対峙出来ず怯んでいる事に陥りやすいように聞こえていた。
そして、そんなヒネたマッチョイズムな意見にも違和感を感じていた。
自分は適当でデタラメな野郎なんだが、
製作過程でのモチベーション、テンション、またそれに携わる経緯などがとても大事で、
例えば下絵を描いたりするとき、刺青の施術過程、またそれについて考えている時間などに、
つまりは製作過程にアート性なるものを実感していた、って事が正直多々ある。
そして発表(表現)、第三者のリアクションってのは二の次に思う事もあった。
今回の旅で経験した事、刺青や個展での出来事、他彫師やアーティストとの交流で感じたのは、
絵の意味知らずとも、まず形状にリアクションがあり、色、質感にリアクションがある。
そして受け取り側は全く伝統、絵に媚びずに様式美を感じ取っている。
そしてスタイルとして解釈せずに、まずそこに「個」を求めてくる。
自分自身、勝手に感動してしまっているハナシなんだが、(まあ面倒くさい事を書いているのだが、)
「アートであるか否か」とかって事ってか「アートって何」って事を今更ながら
「どうでもええわ」ってしたくなくなったのだ。
ボルドーのストリートアート
休業日にマチューにボルドー郊外のDARWINというところに連れて行って貰った。
ダーウィンは、なんというかストリートアートの複合施設みたいなところだろうか。
かつては軍用私設だったらしく、かなり広い敷地だった。
中にはいくつものスケートパークがあって、当日はスケーターの大会みたいだった。
スケーターも小学生から高齢者まで、コンテストの参加者もかなり多い。
そして数々のグラフィティアートがあり、当日もグラフィティーライターのライブペインティングがあった。
巨大なグラフィティー、とても迫力があるし楽しそうだ。
その建物の中にはアパレル、カフェ、リサイクルショップなど様々。
なんと、タトゥースタジオまで!
ダーウィン内のTETRODON TATTOOはコンテナを利用したスタジオだ。
ボルドーの建築物はさすが世界遺産だけあって、歴史ある石造りは雰囲気がものすごくある。
そんな由緒ある街にもグラフィティーアーティストが沢山いる。
KUB (クビ)氏
ボルドーのモダンアート
BETASOM Base sous-marine
ボルドーに滞在中はマチューに美術館によく連れて行ってもらった。
さすがフランス、芸術の国だけあって、美術館が多い
実は自分は近代美術、現代美術の分野には疎く、抽象画なんか理解できた例がない。
今まで、まど・みちおの抽象画に感動した事があるが、今まで感銘を受けたのはそれくらいだった。
ただ、さすが欧米ではアブストラクト、前衛的なヤツをタトゥーにて実践してたりする現状だ。
見る分にはすごい、って思えるのも沢山あるが、
それらには呪術的意味やメッセージなどを含ませているものが多いと思う。
そして、錯覚効果やサブリミナル的なものを目的としているものもあるとは思う。
でも、紋様として、ただ純粋に装飾としてってシンプルな解釈が許されるのであれば面白いものが多い。
ボルドーで通った美術館はほとんどがモダンアートの展示や個展だった。盛んなんだろう。
Base sous-marine の内部
Base sous-marine は第二次世界大戦中のボルドーの旧潜水艦基地の跡地であり、
現在はモダンアートの展示や音楽コンサートなどで使用されてたりするらしい。
かなり広い敷地で、空間、音響効果、視覚効果を利用した展示が行われていた。
写真撮影可能だったが、それに気づいたのはかなり終わりのほう。
CAPC現代美術館
ボルドー市街にある現代美術館。
ボルドーらしく歴史的建築物を美術館に改造している。
ここもモダンアートの美術館らしく、空間美術や音響、照明などを利用した展示が多く、
とにかく、アートって感じだった。写真は無い。
やはり現代美術は自分には難解だったが、スケールのでかさにはビックリした。
空虚な感触、サブリミナル、快楽、インパクトなど、やはりスケールはでかい。
どれも計算と情熱が注がれたものなんだろうと思った。
しかし難解だ。もっとフランス語を勉強すればよかった。アート恐るべし。
MY TATTOO TOUR 其の七につづく
MY TATTOO TOUR 其の五 「ボルドーからバイヨンヌ、そしてパンプローナ編」
「ボルドーからバイヨンヌ、そしてパンプローナ」
バイヨンヌ編
バイヨンヌの夕日
ボルドーでゲストワーク中にバイヨンヌとパンプローナにも行ってきた。
ちなみにこの回はほとんど観光ブログみたいな感じになっているので番外編のようなものだ。
事情でフランスを出ればwifiは使用出来なくなる。
当初は一人で行くもんだと思って、電車の乗り方や地図、簡単な範囲でのスペイン語の挨拶、
色々準備してたつもりなんだが、(今振り返ると我ながらナメた準備だったが)
マチューが同行してくれた。本当に有難う。
ちなみにマチューは前日が誕生日で、仲間に朝まで祝ってもらってたみたいで完全な二日酔いだ。
移動はマチューの車で。辛そうだ。
モチロンなのだが日本とは道路進行は左右逆だ。ボルドーから高速道路でスペインまで行ける。
さすが大陸EU、フランスからスペインに入国するのにパスポートは必要無い。
で、スペイン入国前日にクーパが在籍するCORONA TATTOOに向かう。
車を走らせて小一時間ほどで停車。
フランス西部のバカンス地であるArcachon(アルカション)にある
ヨーロッパ最大の砂丘、ピラ砂丘で少し観光する。
かなり上る、ハード。
でかい
マチューは電話。かなり歩く。君は大丈夫なのか。電波は大丈夫なのか。
寝てないマチューはついに寝た。丘を登って下りたらやっとビーチが。
きつい高低差だった。4月やのに人々は泳いでいる。とても綺麗だ。楽しい。
しかしこの砂丘は年々かなりの速度で拡大しているみたいで、
付近の森や家が埋没した形跡がよくわかる。
そこからさらに一時間半ほど南下すればバイヨンヌに到着。
早速KOOPA(クーパ)が在籍するCORONA TATTOOに向かう。
やっとクーパと再会。アーティストのマリーナもいる。
マリーナはかなりパンチ効いてる女性アーティストで、
ボルドーの個展にも駆けつけてくれてた。
とてもイカした作風だ。強烈だ。
そしてクーパはちょうど仕事中だったが、なんか楽しそうに彫るネ。
クーパはUSトラッドな作風、で、いつも笑顔で楽しそうだ。
クーパが「海を見にいこうぜ!」とかいって皆でアクィタニアの海岸へ。
皆でパンを食べながら夕陽を見た。ドラマチックや。10代でやりたかったな。
その後クーパの家で就寝。
クーパの家のコレクションの一部。イケてるなあ。
バイヨンヌの街
バイヨンヌはボルドーとはまた違う美しさがある。
バスク地方であるためバスク建築物がたまに見れて、スペインに近い実感があった。
バスク文化は自分からしたらとても不思議で魅力的だ。
ちなみにバスク語は世界一難解らしい。
サン・ジャンの街
スペインに入る前にサン・ジャンに寄り道。
なんと偶然マチューの姉夫婦と遭遇。びっくり!ぼくは行儀良くできてたかな?
さらにシブールに寄り道し、ドメーヌ地方に。
お城がきれいだ。30分くらい歩くと海岸に出た。海はいいですね。
さらにマチューは泳ぎだす。これぞフレンチスタイルだ。
なんと桜が咲いている。桜といえば今日は妻の誕生日だ。
ありがとうみんな。次は日本で会いたいな。
スペイン パンプローナ編
Pamplonaの街
パンプローナはスペイン・ナバーラ州の基礎自治体だ。
ナバーラ州の州都である。かつてのナバーラ王国の首都だった。
フランシスコ・ザビエルの生地としても知られる。
ゴシック様式の建物が目立ち、街の活気はあるのにゴミひとつ落ちてないほど綺麗だ。
また緑も多く空気もいい。そうか、ここは丘にある都市なのだ。
ごみの分別もしっかりしている。
通貨はもちろんユーロ。言語はスペイン語、もしくはバスク語。
移動中の車内でマチューにスペイン語のイントネーションをレクチャーしてもらった。
とても情熱的なイントネーションが難解だ。
サン・フェルミン祭(牛追い祭り)が開催される街としても有名だ。
ぜひ一度見てみたいのだが、動物虐待と批判の声もあるみたい。
闘牛場もあり、かっこいい!でも動物虐待と批判の声もあるみたい。
Semana Santa(セマナサンタ)でのパンプローナ
なんとパンプローナに到着したらセマナサンタ(聖週間)の真っ最中だった。
さらに明日は復活祭だという。
復活祭とは、ジーザスが処刑されてから3日目に復活した、という
その復活を祝う祭りであり、スペインではクリスマスよりも重要な日らしい。
ストリートのあちこちで演奏が始まっている。
これはタトゥーどころじゃないのかも。
パンプローナの闘牛場の向かいにあるスタジオTai Tattooに行く。
写真は閉店後のTAI TATTOOだが、本当に綺麗な店だった。
Jaume(ユン)a.h.a彫牌氏を紹介してもらった。
ユンに荷物を預けてひとまず周辺の観光に。
街は丘になっている。一番上にあるのは
IGLESIA CATEDRAL DE SANTA MARIA DE PAMPLONA(サンタ・マリア)大聖堂だ
なぜか夜の写真だ。
そしてその周囲を城壁で囲んでいる。
まわりをぐるりと歩いてみる。
ほう、外の街が見えますな。
緑も多いですな。
再びユンと合流してお店を数件廻り、路上でパンプローナの若者達と歓談した。
いい話ができた、ありがとう!
翌日はついに復活祭?
朝からあちこちのストリートで音楽が演奏されている。
人もめっちゃ増えてきた。
大聖堂では人々が大きいシュロの葉を抱えた行列が聖職者を称える。
カトリックの巡礼行為なのか、見慣れない光景が続く。テレビ局も来ている。
どのストリートも音楽の演奏でいっぱいだ。
皆でスペインの歌を合唱している。映画のようだ。
ボルドーに帰るとき、なんとユンからアートワークをプレゼントしてくれた。
とても綺麗なアートワーク。有難うございました!
丁寧に筒に入れて頂いた。出国の際にソレが武器のように見えたらしく、
連れて行かれそうになったがソレも一興。
そして日本での再会を約束した。
ありがとうございました!
ユン、自分も絵が描け次第送るから!待ってて!
MY TATTOO TOUR 其の六につづく
MY TATTOO TOUR 其の四 「フランス編其の二」
フランス編其の二
「ボルドーでゲストワーク」
lhommeinvisible(ルホーム・インビジブル)
自分がボルドーにて拠点とさせていただいたスタジオ。
マチューやミシェルが在籍しているタトゥースタジオだ。
偏見は少なく、レストランのオネエちゃんやスーパーのレジ係や、お年寄り、
自分に対応した税関の職員までタトゥーを入れている。
日本しか知らない自分はとてもびっくりした。
スタジオで絵を描いていたときには通行人のおじいちゃんや子供達が
「今日は何描いてるの?」とかいって見に来たときは
MICHELL HAMMER(ミシェル・ハマー)のアートワーク
MY TATTOO TOUR 其の三 「フランス編其の一」
フランス編其の一
ボルドーという街
台湾の余韻も冷めぬまま間髪入れずにフランスに旅立つ。
関西空港でヨーロッパツアーに向かうBIRUSHANAHと合流。
みんな荷物が重そうだ。
出国前に荷物の整理をするSCUMZONE。よく見る光景だ。お家芸だ。
大阪からパリのシャルル・ド・ゴール国際空港まで約13時間。
個展開催
Memorabilia(メモラビリア)にてYONARTE 個展が開催される。
前日に準備としてメモラビリアに展示する絵画作品を持っていく。
Memorabilia
メモラビリアはガロンヌ川沿いにある、美術品を扱ったりするギャラリーで、
とても不思議な空間で、ゴシック要素もあり芸術的だ。
事前に額縁は郵送していたのだが、肝心の中身の絵は郵送出来なかった。
BIRUSHANAH はツアーのリハーサルに向かい、基本的に別行動。
自分の絵は欄間額に収めていて、なるべく腕七分袖用の刺青を意識して描いているが、
全く意識せずに描いているものもある。
絵のタイトルは日本語で描いたのだが、説明文をフランス語で挑戦してみた。
説明文を書いたのは、外国の方が自分の絵から物語を理解してもらうのは困難な気がしたし、
なるべく遊んでいるイメージが伝わればいいな、と思ったからだ。
幼卒程度のつたない英語力しかない自分だが現代にはGOOGLE翻訳という画期的なツールもあるし、
そっちのほうが楽しいであろうと、いちびって書いてみた。
GOOGLE直訳の文章、イタさも満載だったと思う。そこはご愛嬌(すまぬ)。
個展の様子
翌日の夕方から個展は開催されるのだが、その当日にすでに
自分のlhommeinvisible(ルホーム・インビジブル)のゲストワークが始まった。
実はかなり宣伝してくれていたみたいで、たくさんの人たちが集まってくれた。
この個展がきっかけで、その後、タトゥーのお客さんが沢山増えることになった。
ありがたや。
そして、絵の販売をどうするかスタッフと打ち合わせ。
ちなみに、自分は絵を販売したことは一度も経験が無く、
近しいひとに頼まれれば描くし、気が乗らなければ描かなかった。
ボルドーの生活
ボルドーでのゲストワーク中は旅に出た友人の部屋を借りて生活していた。
朝市とMarche des Capucins(カピュサン市場)
MY TATTOO TOUR 其の二 「台湾編」
台湾編
ついに旅が始まった。
国内での営業を一旦休業し、まずは台湾は高雄市(カオシュン)に。
飛行機で1時間程度。入国はスムーズ。でもなかったか?
台湾は日本との時差は1時間だ。
通貨は台湾元。略称は元(ユェン)。もしくはニュータイワンドル(NTDollar)。
高雄市は台北市に次ぐ台湾第二の都市で、世界有数の港町だ。
台湾の南部分に位置している。高雄の気温は3月なのに暑い、さすが南国ですね。
現地にて円を台湾元に両替し、一日早く入国していたBOOGEYMAN TATTOOカミウト夫妻と合流。
台湾TATTOO COVENTION
台湾TATTOO CONEVTIONの様子
MY TATTOO TOUR 其の一 「prologue」
prologue
なんと、こんなブログがあったのですね。
謎の更新頻度を携えて存在するYONARTE TATTOO ブログ。
当ブログの更新、本当に久しぶりです。
なるべく丁寧に始めようと、まず自己紹介からです。
自分は大阪 西成の刺青師 呼鳴手/YONARTEといいます。
大阪の西成区にてYONARTE TATTOOという小さなTATTOOスタジオを営んでいます。